1/3 炊き出しの様子

船谷 光雄
釜ヶ崎越冬闘争
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釜ヶ崎越冬闘争最終日の炊き出しの様子です。炊き出しの下準備は高齢日雇労働者特別清掃事業(通称特掃)の詰所で行われます。私の仕事場ですね。学生企画ネットワークでやってくる若者たち、隣接しているあいりんシェルターと禁酒の館(居場所)のスタッフたち、そして情報を聞きつけて参加していただいた個人の方々。色々な人たちに手伝っていただき成り立っています。

先頭の写真に写っている金崎氏(がきネット)が着ているTシャツは、釜ヶ崎実行委員会で拵えたものです。背中に書いている「黙って野垂れ死ぬな やられたらやりかえせ」という言葉は昭和の活動家、船本洲治氏の言葉です。

船本洲治

船本 洲治(ふなもと しゅうじ、1945年12月23日 - 1975年6月25日)は日本の革命思想家、ノンセクト・ラジカル系極左活動家、労働運動家、暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)幹部、トビ職、自称する職業は労務者。満洲生まれ広島県出身、広島大学中退。流動的下層労働者(寄せ場の日雇い労働者)を真の革命の主体と考え、釜ヶ崎(あいりん地区)や山谷での日雇い労働者たちの労働運動を主導しようとした。船本の思想は東アジア反日武装戦線などのアナキズム系過激派に近く、悪徳手配師や劣悪な飯場に対する現場闘争や日雇い労働者による暴動の扇動など直接的な暴力を行動の主体とした。暴動を組織化して革命を導く、そのあまりに過激な思想により警察に徹底的にマークされ、1973年には証人威迫容疑、1974年にはあいりん総合センター爆破事件の容疑で指名手配を受けて地下に潜伏。1975年、皇太子明仁の海洋博訪問を控えた沖縄にて皇太子暗殺を企てるも断念し、アメリカ軍嘉手納基地ゲート前にて「皇太子訪沖反対」などを叫びつつガソリンをかぶって焼身自殺した(船本の思想に共感する者はこれを焼身決起と言う)。著名な言葉・スローガンに「だまってトイレを詰まらせろ」「やられたらやりかえせ」「黙って野たれ死ぬな」などがある。 山谷の労働運動を主導した山岡強一は『山谷-釜ヶ崎の運動における船本洲治の意義は、一言でいうと寄せ場の階級性を暴き、そこに闘争を組織しようとした点にある。-引用、山岡強一「山谷-釜ヶ崎の闘いの歴史と船本洲治」』と評価している。船本の思想は、山岡強一や礒江洋一などの寄せ場の活動家のみならず、東アジア反日武装戦線、北海道庁爆破事件の大森勝久などにも影響を与えている。名は舩本洲治と書かれることもあり、また釜ヶ崎では上田耕平と名乗り活動家仲間からは「こーちゃん」「こうちゃん」の愛称で呼ばれていた。

船本洲治 - Wikipedia
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